実行委員長・創始者のひとこと集
新委員長からひとこと
みなさんこんにちは。
愛車の調子はいかがでしょうか?
たのしく走っていますか。
磨いていますか。
いじっていますか。
きちんとメンテしていますか。
今年も5月最後の日曜日に軽井沢ミーティングを開催します。
ご自慢の愛車とともに碓氷の峠を駆け上がってきてください。
いつもの場所でお逢いしましょう。

軽井沢ミーティング実行委員会 新委員長 高橋優一

●新委員長プロフィール

高橋優一(たかはしゆういち)
1968年5月18日生 茨城県東茨城郡在住

オーナーズクラブ「pea」リーダー
1991年式NA6(標準車、赤、エアコン・オーディオなし)所有
2023年
今年の晴天祈願でいただいたお札から
「疫病退散」の文字が消えた。
長い長いトンネルが明けた。
5月のよく晴れた祝日に
250キロのソロツーリングに出掛けた。
もちろん幌を畳み、左右の窓も開け放ち
フルオープン。
途中何台もすれ違うロードスター。
手を振り合う。
頬が緩むのに気がつく。
日常がすっかり後方へ流れ去る。
思わず自分のロードスターを抱きしめたくなる。
ロードスターが好きで本当によかった。

4月11日にロードスター初代主査の平井さんがお亡くなりになった。
平井さんがロードスターを作ってくれなかったら、
私の人生は違うものになっていただろう。
平井さん。ロードスターを作ってくれてありがとうございました。
これからもずっと大切に乗ってゆきます。

軽井沢ミーティング実行委員会 委員長 高橋優一
2022年
3年ぶり5月開催の軽井沢。
やっと本来の姿で開催です。
たくさんのロードスターが入場してきたら泣いてしまうかもしれません。

20年前、ペダルカーレースに参戦した長男も
3年ぶりに自身のロードスターで参加します。
もちろんボランティアスタッフとしても。

仲間の子どもが今年、ペダルカーレースデビューします。
将来、この子が軽井沢にロードスターで来てくれたら嬉しいです。

30回目の軽井沢ミーティング。
ロードスターと世界一しあわせなオーナーたちの集いはこれからも、ずっと。

軽井沢ミーティング実行委員会 委員長 高橋優一
2021年
何回言っただろう。
落ち着いたら、
収束したら、
コロナが終わったら、

緊急事態宣言も蔓延防止も解除された。でも。
緩みすぎないで、動き出そう。
少しずつ。

もちろんマスクをして、ソーシャルディスタンスを守りながら。

今年の軽井沢。
正直出来ると思わなかった。

吹く風は肌寒いかもしれないけど、
ロードスターを好きな熱い想いを
マスクの下の笑顔と共に持って来てください。
制約はまだまだ多いかもしれないけど
久しぶりに集いましょう。
浅間の山が見届けてくれるいつもの場所へ。

軽井沢ミーティング実行委員会 委員長 高橋優一
2020年
いつのまにか、
満開の桜も、ゴールデンウイークも、夏も終わっちゃいました。
幌を開け放って走り回ることも、思いつきで出掛けることも
なんかやりづらい一年でした。

だからこそ、軽井沢の地にみんなで集いたかった。
マスクと手指消毒しか思い出せない一年にしたくなかった。
開催のために、例年の内容を大きく変更しました。
当日参加はできません。
ペダルカーレースもありません。
子どもたちが大好きなエア遊具もありません。
私の大好きな軽井沢の光景が見られないのは残念ですが、
今年は我慢です。
ニュースタンダードを実践しながら集いましょう。
制約は多いかもしれないけど、取り戻しましょう。少しずつでも。

たとえ日常が変わっていっても、私たちのロードスターを愛する心は少しも変わらないから。
ぜひマスクの下に笑顔を持ってきてください。

軽井沢ミーティング実行委員会 委員長 高橋優一
2019年
30年前、自動車雑誌で見た
ライトウェイトオープンスポーツカー。
本当に欲しくなって、2年間貯金をしてやっと手に入れた。
クラシックレッドのNA。
以来、私の人生の中には必ずロードスターがいました。

ロードスターと過ごす時間は、本当にしあわせを感じます。
初代のカタログにある通り、
「だれもが しあわせに」なれるのです。
30年。
4世代のモデルそれぞれに、初代の時と変わらない、
しあわせホルモンが溢れています。

Shall we celebrate "The 30th Anniversary of Roadster"?
ロードスターの30歳を共にお祝いしましょう。
30年経っても、時代が変わっても、変わらない笑顔で。

軽井沢ミーティング実行委員会 委員長 高橋優一
2018年
ペダルカーレースの参加者が、また一人軽井沢に帰ってきます。
自身の運転で、自身初の愛車NBで。
ボランティアスタッフとして、入場ゲートにいます。
もちろん、ペダルカーレースのスタッフとしても活躍します。
昨年、ボランティア初参加の長男と共に。
ずっと前から思い描いてきた、
「いつかは3人、3台のロードスターで軽井沢へ」
ロードスター30周年イブの今年、またひとつ夢が叶います。

NAのレストアがスタートしました。
トライアル車両を見る度に「ロードスターワールド」は、
まだまだこれからも広がっていくのだなと感じています。
いつか、参加者のぴっかぴかのレストアNAが軽井沢に来るのも楽しみです。

前委員長から受け継いでいる軽井沢への想い。
毎年5月の最後の週末は、
ずっと、ロードスターといっしょにたくさんの笑顔が集まる場所にしたい。
この想いを守り続けるために、私たちは毎年変わっていく状況に対応してきました。
今年もまた大きく変えました。
守るために。

今年もたくさんの笑顔を持ってきてください。
新緑の気持ちいい風が吹くあの場所で待ってます。

軽井沢ミーティング実行委員会 委員長 高橋優一
2017年
2000年の第8回軽井沢ミーティングは、今年と同じ5月28日に開催されました。
その年のペダルカーレース優勝者が、今年、自分より年上のNAで参加します。
自らの運転で初めてのミーティング参加。
受付ボランティアにも参加します。
もちろんペダルカーレースの運営ボランティアにも参加します。
彼にも軽井沢を堪能してもらいたいです。

昨年の軽井沢ミーティングで国内初お披露目された、新しい仲間「RF」。
マツダからの説明は「リトラクタブル・ファストバック」の頭文字ですが、
私の解釈は、「ロードスター・ファン」。
一目見て、RFはきっと新しいファンを連れてきてくれると思いました。
新しい楽しみ方ができそうな感じが伝わってきます。
25回目を迎える軽井沢ミーティングに何台のRFが来るか楽しみです。

ようこそ軽井沢ミーティングへ。ようこそロードスターライフへ。
ロードスターに関わり始めたばかりの人も、もちろん長年乗り継いでいる人も。
初めましての笑顔も。知っている笑顔も。
このクルマの周りに溢れる笑顔を、一緒に楽しみましょう。
いつもの場所でお会いしましょう。

軽井沢ミーティング実行委員会 委員長 高橋優一
創始者からひとこと
1993年からスタートした軽井沢ミーティングのFounder(創始者=言い出しっぺ)は、瓦井俊悟という名前の当時は好青年。
1996年から2016年の軽井沢ミーティングのプログラムの表紙では、瓦井が軽井沢ミーティングとロードスターへの想いを伝えています。
ここでは、From Founder〈創始者から)として、その文面を紹介します。

1人より2人、2人よりもっとたくさんなら、その楽しみももっと広がるはず、という思いから始めたミーティングへの想いは、ロードスターを愛する人、仲間を愛する人、その両方が集うミーティングが好きな人ならきっと共感できるところがあるはず。

●創始者プロフィール

瓦井俊悟(かわらいしゅんご)
1962年10月31日生 埼玉県戸田市在住

NA発売の翌1990年2月、クラブ「Woopers」を設立。
1989年式NA6(標準車、赤、エアコン無し、でもナビ付き)所有。
2016年
1990年。浅間山を目指して峠を駆け上がっている時に、旧い国産のオープンカーとすれ違がいざまに手を挙げて交わした挨拶。
1993年。浅間山の麓、北軽井沢ではじめた年には115台、138名。
1996年。軽井沢の今と同じ会場で始めた年には450台、620名。
SNSなんてもちろんのこと、インターネット、携帯電話すら無かった時代。
ロードスター好きな仲間同士のコミュニケーションは、
自動車雑誌誌面のほんの数行の告知と、当時生まれ始めたローカルクラブへの招待状から始まった。
光ではなく「紙」の情報は、届くまでに時間がかかった。
だからこそきっと、受け取ったときの喜び、ワクワクは大きかった。
たくさんの出逢いがあって、笑顔を交わす友達になった。
20数年、長い時間をかけて育まれてきた、人のつながり。
久しぶりにでかけた軽井沢で旧い友達と偶然逢う、そんなできごとが増えた。
あなたの笑顔を憶えている人達と逢える。
それが軽井沢ミーティングです。

ロードスター軽井沢ミーティング「Founder」 瓦井俊悟


たくさんの大きな賞を獲得して、
名実共に私たちのロードスターは
「世界一のくるま」になりました。
さあ、この栄光を胸に今年も走り出しましょう。
百万台の仲間とともに。

軽井沢ミーティング実行委員会 委員長 高橋優一
2015年
10年前。2005年5月。
軽井沢に3代目ロードスターが4台も来てくれた。
既にジュネーブショーで発表されてはいたけれど、
日本国内ではまだ、プレス発表もされていなかった。
「軽井沢で皆さんに最初に見てもらいたかった」
先代の主査のひとことがうれしかった。
昨年も軽井沢で、25周年記念車と新型のシャシーが国内初お披露目された。
毎年会場には、マツダ社員の姿がある。こんなにユーザーに近い自動車メーカーは他に無い。
そして今年、新型ロードスターが発売になった。
納車されたての新型で軽井沢に参加できる絶妙のタイミングで。
何台の4代目が駐車場に並ぶだろう。
はじめまして!ようこそ軽井沢ミーティングへ。
そして、おかえりなさい!また笑顔の仲間と逢える。

ロードスター軽井沢ミーティング「Founder」 瓦井俊悟


可愛い新しい弟が出てきて、
改めてロードスターの魅力ってなんだろうと考えてみた。
LWSならではの軽快さ
左右の窓を開け放ったオープンの心地よさ
いつまでも眺めていたいスタイリング
これまでそんないろんなことばで語られてきたけど、
このくるまの本当の魅力って、
周りにいる人たちみんなが、心から楽しんでいること。
くるまの世代もオーナーの性別も年齢も関係ない。
みんなを笑顔にするってこと。
さあ、今年も軽井沢の季節がやってきました。
とびきりの笑顔をたくさん持ってきてください。
いつもの場所でお会いしましょう。

軽井沢ミーティング実行委員会 新委員長 高橋優一
2014年
Thanks for 25th Anniversary of Roadster.
Lovable Life with Roadster.

僕が君と出逢ったのは25年前。
初めて君の姿を見たとき、僕は「懐かしさ」を感じたんだ。
初めて君に乗ったとき、その理由が判ったよ。
「顔が風を感じてる! 気持ち良い!!」
幼い頃、父親に乗せてもらった「鉄の馬」と同じだった。
バイクに乗るライダーだった僕に、
クルマをドライブする楽しさを教えてくれたんだ。
ほんの少しの勇気を出した僕は、君と過ごす、しあわせの日々を手に入れた。
誰もがしあわせになれたのは、憧れの君に出逢えたから。
いつになっても君は変わらない、誰もが君に憧れているから。

ロードスター軽井沢ミーティング「Founder」 瓦井俊悟


どきどき。
わくわく。
るんるん。
うきうき。
らんらん。
きらきら。

今年もいつもの季節がやって来ました。
愛車と共にいろんな楽しい気持ちを持ってきてください。
私たちも楽しみにいつもの場所で待ってます。
さあ「笑顔。逢える。」場所へ。

軽井沢ミーティング実行委員会 新委員長 高橋優一
2013年
高速道路を走る車は、絶えることなく、目的の街まで走り続けている。
それでいて、同じ車、同じ人ではもちろん無い。
毎年開催される車のイベントも、その参加人数は変わらずとも、
車種や参加者は様変わりしている。

ロードスター軽井沢ミーティングは、5月の最後の日曜日。
毎年1,000台を超えるロードスターが、会場を埋め尽くしている。

しばらく離れていたけれど、最近また新型を手に入れて。
買った中古車に軽井沢のステッカーが貼ってあったので。
直前に故障してしまい、友人の助手席で。
ファミリーカーで、新しく増えた家族と共に。
ペダルカーレースに参加していた息子が、父親の車で。
免許とりたての孫の運転で。
もう新車から20年も乗っている愛車で。

軽井沢ミーティングは絶えることなく続いて行く。
ロードスターに乗る人に笑顔がある限り。
その笑顔に逢いたいと思う人がいる限り。
2012年
「ロードスターを“楽しむ気持ち”を持ってきて下さい!」
自動車雑誌のほんの数行の告知と、当時増え始めたロードスタークラブへのお誘い。
1993年、浅間山の麓、北軽井沢に115台138名の“笑顔”が集った。

1回目のミーティングは1.6リッターだけだった。
携帯電話を持ってる人もいなかったし、誰もつぶやいたりもしていなかった。
1.8リッターになって、96年、北軽井沢から軽井沢町に会場を移した。
ユーノスからマツダになった2代目NBが登場した。
3代目NCの国内初お披露目は、軽井沢だった。
ロードスターの20周年には、お祝い署名車に沢山の人が署名した。

今年「ロードスター軽井沢ミーティング」は、20回目を迎える。
20年という時間が、世の中も大きく変えて来たけれど、
毎年5月末の「軽井沢ミーティング」は、変わらない。
ロードスターを“楽しむ気持ち”は、変わらないから。

沢山のロードスターと仲間達が、“楽しさ”を何倍にもしてくれる。
また“あの時の笑顔”に逢える。
2011年
3月11日。大きな地震が、東日本を中心に甚大な被害をもたらした。
被災地はもとより、モニターに映し出された映像を見た人々からも笑顔が消えた。
古い写真の中でしか見た事のない「セピア色の瓦礫の街」が、
「薄くグレーがかかったフルカラーハイビジョン」で、僕らの脳裏に更新された。

僕らが住むこの国「日本」は、自然災害や戦争で幾度となく「なんにもない街」になってきた。
東京だって、広島だって、阪神だって、みんなそうだったんだ。
涙をぬぐって見上げた空は、今も昔も同じ色をしてるのだろうし、
種を植えて育てた緑は、花も咲き、実もつけてきた。

笑顔を取り戻そう。
いつかここで逢った仲間、
今日ここで逢う仲間、
そしてまだ見ぬ仲間たちと共に。

笑顔が戻れば希望も生まれ、
そして立ち直る勇気も持てる。
2010年
今年18回目となる「ロードスター軽井沢ミーティング」
メインとなる5月最後の日曜日に、雨が降ったのは17回中4回。

早朝に降っていた雨が、開会式には上がってしまったり。
いくつかあるアトラクションの時だけ晴れ間が見えたり。
昨年のように終日降ったりやんだりしながらも、
集合写真やゲストによるトークショウの時には、
雨もやんでくれました。

「軽井沢マジック」それは、
イベントの時には、雨が降らない。
週間天気予報が雨でも、当日までには晴れに変わる。
東京から出掛ける時に土砂降りでも、軽井沢では晴れている。
もうそんな事ではないのだと思います。

2年続けて雨になった昨年でも、
過去最多 のロードスターと参加者が集いました。
そして、軽井沢を大切に思ってくれ、
ボランティアとしてお手伝いをしてくれる方達も、
年々増え続けています。

軽井沢に行くと「だれもが笑顔になれる。」
それが「軽井沢マジック」なのだと思うのです。
2009年
長く続いた「昭和」という時代が、「平成」へと変わった年。
ロードスターは生まれました。
日本の歴史に刻まれている1989年。
自動車業界でも「ビンテージイヤー」と言われたこの年。
数多くのエポックメイキングな車が誕生していました。
その中で、世界中で受け入れられ、
たくさんのファンを創ってきたのが、ロードスター。
日々目まぐるしく変わってゆく環境や経済、社会情勢のなかで、
常に進化を続けながら、
変わらない楽しさを持ち続けています。

長いようで短い20年という時の流れ。
それは、ロードスターと共に過ごしてきた時間が、
時計が刻む時間ではなく、
「きっと、しあわせになれる。」という魔法をかけられた
心が刻んだ時間だからなのでしょう。

Shall we celebrate “The 20th Anniversary of Roadster”?

ロードスターの20歳を、共に祝いましょう。
20年経っても、変わらない笑顔で。
2008年
1989年、日本の年号が昭和から平成に改められた年。
東洋の小さな国日本から、1台の「オープンカー」が発売された。
「Miata」「MX-5」「ロードスター」
アメリカ、ヨーロッパ、日本、どの国でも多くの人に受け入れられた。
日本のカタログには、「きっとだれもがしあわせになる。」と言うコピーが書かれていた。
オープンカーは人の心も開放的にするのだろうか、
乗った人はみんな笑顔になった。

1993年、インターネットも無い時代。
雑誌に掲載された僅か数行の告知によって、
100台を超すロードスターが北軽井沢に集い、
「軽井沢ミーティング」が始まった。

オープンカーは、単なる“流行モノ”と言う扱いではなく、
日本人のライフスタイルの中に、確実に受け入れられていった。

情報化社会と言われる昨今、“流行”は常に書き換えられてゆく。
我々を取り巻く環境も、時とともに変わってゆく。
ロードスターも、時代と共に変わってきた。

けれど、軽井沢にある楽しさは変わる事は無い。
“笑顔”と言うプロテクトが掛けられているのだから。
2007年
緑深き自然の中に佇む街、歴史ある避暑地、軽井沢。
肩書きやしがらみに縛られる日常を、
忘れたい時に訪れるのも良いでしょう。

新緑の香りを含んだ風を感じる事のできる、
オープンカーで走るには最高のロケーションですね。
でも、私達ロードスター乗りにとっては、“聖地”のような軽井沢なのです。

毎年5月の最後の週末には、
名前を知らなくても、同じ車に乗る仲間達が集い、
“幸せな空間”を共感しあっています。

駅前の人集りを抜けた、あの林の向こう側は、
いつもの笑顔に満ち溢れているでしょう。
2006年
「ユーノス・ロードスター」と言う名で発売された、
日本製の小型2シーターオープンスポーツカーは、
世界中の人々に受け入れられ、多くのファンを魅了した。
そして世界中で、数多くの賞を受けてきた。

「マツダ・ロードスター」となった2代目でも、
それは変わることなく引き継がれてきた。
小型スポーツカーの生産台数の累計で70万台を超え、
世界の記録を集めた「ギネスブック」に認定される。
この記録は、今も更新し続けている。

そんなロードスターでも、ひとつだけ取り忘れていた賞があった。
日本国内で発売された新車に与えられる賞、
日本カー・オブ・ザ・イヤー。

その賞を、昨年の軽井沢で初公開された「New Roadster」が受賞した。

Congratulation & Thank you !

誇らしい仲間たちの笑顔を、笑顔で迎えよう。
2005年
一年に一度、5月の最後の週末に軽井沢に集うロードスターの仲間達。
早朝から“笑顔”で準備する人。
この日のために、“ロードスター”をピッカピカに仕上げてくる人。
遠方から“軽井沢”を目指して走ってくる人。
いつもの顔と、新しい顔。
また増える“笑顔”の仲間。

“WELCOME to KARUIZAWA”

同じ楽しさを共感しあえる仲間との再会と新しい出逢い。
コテージで時の経つのも忘れる、楽しい友との語らいの夜。
抜けるような青い空と、真新しい緑の中を走り出す軽井沢の朝。
広い会場を埋め尽くすロードスター達。

さあ、新しい仲間を「笑顔」で迎えよう。
2004年
「毎年5月の最後の週末に軽井沢で開催される、ロードスター最大級のミーティング。800台のロードスターと1400人の参加者…」
いろんなところに書かれているこんな説明を見ると、
「プロのイベント屋さんが仕切っているのですか?」
そう思ってる人も居るかもしれません。
でも違うのです。
初めての時は、ハンドマイク一本と数人のスタッフで、ホントに何もない、ただの「集会」でした。
それでも、笑顔に満ちたすばらしいミーティングでした。
「次回もやるなら、何か手伝わせて欲しい。」
そんな人たちが、たくさん手を上げてくれて、軽井沢ミーティングは成長してきました。
そして今でも、準備委員と協力スタッフ、そしてボランティアスタッフ全員が自分達も楽しむために、一般参加者と同じ参加費を負担して運営しています。
会場にいるのは、みな同じロードスターを愛する人たち。
だから、「軽井沢」は笑顔に逢える「ミーティング」なのです。
2003年
平成元年、ロードスターが発売されて以来、
世界中でロードスターミーティングが開催されてきました。
日本では、北海道、東北、関東、中部、関西、九州、
そしてマツダのお膝元、広島で。
各地で各々趣向を凝らしたイベントが、毎年開催されています。
参加する人たちの住む場所や年齢、職業も千人千色、本当に様々です。
もしロードスターに乗っていなければ、出会わなかった人達が、
生涯つき合っていく友人になる事も、珍しい事では無いのです。
それはロードスターの持つ魅力の一つでしかありません。
ロードスターという小さな車が、大きな思い出をつくり、
かけがえのない友人をつくり、そしてたくさんの仲間をつくってくれています。
そして私たちは、軽井沢で、笑顔をつくっています。
2002年
「軽井沢ミーティング」は今年で10回目を迎えました。
1回目は、1993年。
車雑誌のほんの数行の告知と、増え始めたロードスタークラブへのお誘いに
115台、138名の“笑顔”が、浅間山の麓、北軽井沢に集まってくれました。
参加者へのお願いの中には、
「ロードスターを楽しむ気持ちを持ってきてください!」
と書いてありました。
みんなで持ち寄った“楽しさ”を、何倍にもして持ち帰って欲しかったからです。

1996年。回を重ねて増え続けた私たちの“笑顔と楽しさ”は、北軽井沢では収まりきらなくなり、
現在の場所に会場を移しました。
時が流れても、同じ5月の最後の日曜日に「軽井沢ミーティング」はあります。
また“あのときの笑顔”に逢えます。
2001年
「軽井沢ミーティング」は今年で9回目。
その間にロードスターが変わったのは、
アクセルを踏み込む楽しさのための、排気量と馬力。
力強く若々しい、ライトの形。
日本生まれであることを主張するエンブレム。
内に秘めた“情熱”が表面に出てきたような、
躍動感のあるボディライン。

変わらなかったのは、
そばにいるだけで微笑みたくなる、親しみやすい顔。
いつまでも乗っていたくなる、車を操る楽しさ。
見えない空気まで感じさせてくれる、オープンの開放感。
隅々まで神経が通う、コンパクトなボディサイズ。
そして、紛れもなくライトウェイトスポーツカーであること。

ロードスターとその周りには、
時が流れても、変わらずにいて欲しいことがたくさんある。
けれど、ずっと変わらないこともある。

素晴らしい仲間達の笑顔と、
また来年も軽井沢で逢えること。
2000年
まだ夜も明けぬうちに家を抜け出す。
行きかう車も少ない、
走りなれた道。
いつもの街並をぬけて、
二桁の国道を走る。

コンクリートの箱庭は、
もうバックミラーにも映らない。
紫から青に変わっていく空と、
後ろに流れて行く緑だけが
一緒に国道を走って行く。

見知らぬナンバーの国道を幾つまで数えただろう。
自分がまだ走ったこともない道を走っている、
あいつは今頃どの辺りを走っているのだろう。
一年に一度ほんの少しだけ同じ道を走る友。
何処までも続く道はあいつの街にもつながっているのか。
いつかあいつの走ってくる道をたどってみよう。

さぁもうこの峠を上がれば、
いつもの笑顔に逢える。
1999年
僕が単車に乗っていた頃、目の前を駆け抜け、僕を追い越していった、ちょっと古い黄色いオープンカー。
雑誌の中でしか見たことのないクルマなのに、僕らと同じ風を切って走っている。
いつかあんなふうにカッコ良く大人に成りたいと思った。
それから10年、僕たちの前に忽然と現れた、ピッカピカのオープンカー。
どこか懐かしく、それでいて新しい、あこがれのオープンスポーツカー。
ついに手に入れた。うれしかった。
何時でも、何処へでも乗り回した。楽しかった。
いつまでも一緒に過ごしていきたくなるほど、大好きになった。

あれから10年、単車に乗った僕が憧憬(あこがれ)たもの。
それは単に、クルマに対するモノではなく、
クルマと乗り手が過ごしてきた時間、積み重ねてきた関係が、
素敵に輝いて見えることなのかもしれないと思えてきた。

これからの10年、20年と、僕がロードスターとともに過ごしていくことが、
「あこがれ」を手に入れた事になるのかもしれない。
1998年
私たちには、1年に眠れぬ夜が3日間ある。

1日目は、ミーティングに出かける前の夜。
子供の頃の遠足に行く前の日のように、あした起こる事への期待に胸膨らませて、なかなか眠れない。

2日目は、ミーティングでの夜。
新しく出会った仲間や、遠方から来る仲間、
近くてもなかなか会えない仲間との再会に、
時のたつのも忘れて、夜更けまで語り明かす。

3日目は、ミーティングから帰った夜。
今日見た光景、耳にしたざわめき、
感じた空気が、脳裏から離れない。
「また来年」という言葉がいつまでも響いている。

そんな私たちの、眠れぬ夜に見るのは同じ夢。
目覚めても消えない、いつまでも消さない同じ夢。
一緒に見続けてゆきたい同じ夢。
1997年
自分の乗り継いできた愛車達を、星にたとえて
「僕のキラキラ星」という本に綴った人がいました。
人それぞれに
印象に残るクルマや、忘れがたいクルマ、思い出と共に過ごしたクルマ
があると思います。
そんな中の、ひときわキラキラ輝く星に、今、私達は乗っていると思っています。
その星達が、年に一度、碓氷の峠を駆け上り、軽井沢で天の川となる日があります。
そこでは、たくさんの織姫や彦星たちが一年ぶりの再会を喜び合い、
幸せな笑顔で満ち溢れています。
今年は、あなたも一緒に。
そして来年も。
1996年
『ミーティング』それは人々の集い。新しいこととの遭遇。異なる人生の交差点。
そんな意味があるのでは、と思う。
見ず知らずの者同士が気軽に話しかけたり、同じテーブルで食事をしたり、
チューニングやドレスアップ談義をしたり、
住まいの近いもの同士が新しくクラブを作ろうと声を掛け合ったり。
そんな中から生涯付き合っていく友人と出逢ったりする事もあるのだと思う。

単に快適に移動する為だけの道具ではない。
乗っているだけで幸せにしてくれるような、
ロードスターという車の持つ「楽しさ」を知り、
それを共有するもの同士の奇妙な一体感がそうしているのかもしれない。
私自身の中では、今までミーティングの中で巡り逢った仲間たちの数だけ、
その「楽しさ」が倍増している気がする。
もし、初めて彼女をミーティングに誘う時「そこに何があるの?。」と聞かれたら
「何もないけれど、同じ楽しさを共有する仲間との再会と、新しい出逢いがあるから。」
そう答えていると思う。

仲間の誰かが、いずれロードスターとともに過ごした日々を思い出す事になった時にも、
5月の最後の日曜日、碓氷の峠を駆け上がると、そこにはあの時の仲間たちがいる。
そう思ってもらうために、『軽井沢ミーティング』を続けていきたい。